No.007 曽志崎 寛人様【ポッドキャスト・音声メディアの可能性を探究するコンサルタント】

昨今ポッドキャスト等、音声配信ビジネスが拡大しているようです。
Spotifyはポッドキャスト事業を拡大すべく、2023年までに約10億ドル(約1470億円)を投資したとの記事もあります。(2023年9月7日TheWall Street Journal)

そのような趨勢の中で、主にポッドキャストを通じた企業や大学組織の発信・広報活動における音声コンテンツ制作支援事業 「PROPO.FM(https://propo.fm/service)」を展開する合同会社Submarine( https://submarine-c.com/ )代表であり、当社のコンサル案件にも参画いただいている曽志崎寛人さんにインタビューしました。
自らのビジネスを育てながら、フリーランスのコンサルタントとして活躍される曽志崎さんのキャリア観や今後の展望を伺いました。

略歴)
1988年1月埼玉県出身。慶應義塾大学卒業後、2011年に新卒で専門商社に就職。その後、2012年からアクセンチュア株式会社にて、連結会計システム導入等のITコンサルタントとして従事。2016年よりWebメディア事業を営むベンチャー勤務等を経て、2018年に合同会社Submarineを創業。ポッドキャスト制作支援事業「PROPO.FM」を営む傍ら、自ら運営するポッドキャスト番組「ラジレキ〜思わずシェアしたく歴史の話〜」 「デジトラ〜デジタルビジネス最前線〜」のMC兼プロデューサーとしても活動中。

インデックス

1. 幼少期:サッカーで得た感動と悔しさ、食らいつく心

曽志崎さんは、会社員の父と専業主婦だった母のもと、東京都で3人兄妹の長兄として生まれました。

幼少期は、機動戦士ガンダムシリーズのプラモデル「ガンプラ」、ミニ四駆の組み立てや改造などが好きでした。ただ、唯一悔やまれるのが、「名城プラモデルの姫路城」だそうです。「お城の佇まいの美しさに魅せられたものの、緻密な構造に圧倒され、あの城は完成できませんでした。今でも悔やまれます。さすが、難攻不落の名城です。」 バラバラなものを組み立てて構造として完成させる、の原体験はこの頃にありました。

また、団地住まいだったため、同じ宿舎に住んでいた年の離れたお兄さんお姉さんたちと公園や広場で砂遊び・水遊びに明け暮れ、集団行動を自然と学んでいきました。

そんな幼少期を過ごした曽志崎さんは、1994年にサッカーと出会います。Jリーグ開幕の翌年、小学1年生になったその年に国立競技場でのJリーグの試合を観戦し、サッカーに魅了されました。

「はじめてのJリーグ観戦は感動的でした。また、父は浦和出身で、祖父母の家でテレビ埼玉をつけてレッズの試合を観ていた記憶が強いです。父の実家は、浦和駒場スタジアムのそばだったので、TVで試合を観戦しながらも、近所のスタジアムから湧き上がる声援が家まで聞こえてきました。小学校時代に特に好きだった選手は小野伸二氏です。水星のごとく現れたルーキーの彼がひとたびボールを持つと、時が止まったかのように、ピッチも観客も全てが彼に支配され、会場の雰囲気がガラッと変わり、彼のパス一つで局面が打開され、一気に攻勢が訪れる展開にいつも魅了されていました。」

この後でも幾度か出ますが、曽志崎さんはサッカーを通して、人生で大切なことをいくつも学ばれました。

「サッカーは今も観ます。今でも、目の前に芝生が広がっていれば、ボールを蹴りたい気持ちに駆られます。ただ、幼少期から学生時代に掛けて自分のプレーや試合ではいい思い出はほとんど無いですね。チームメートのレベルも高かったです。小学校時代の後輩の一人は、後に日本代表になっていました。どんなに練習しても敵わない。辞めたいと思ったことは、数え切れないです。それでも、好きだから続けてしまうんです。それに、何とかして上手い相手からボール奪うのは気持ちがいいですしね。」

お話を続ける中で、とても理知的な印象を与える曽志崎さんなので、小さい頃から勉強も得意だっただろうと思い伺いました。

「いえ、小学校時代は勉強で頑張った記憶はないです。小中学生時代は受験を考えたこともなく、地元の公立小に進み、成績は中の上程度でした。赤ペン先生も毎月届いては溜まっていきました(笑)。サッカー以外の習い事といえば、祖父が書道教室を営んでいた影響ではじめた書道くらいです。」

2. 中学時代: 局面を読む。サッカーと将棋へのメタ認知

曽志崎さんは小学校を卒業後、地元の公立中学校に進学します。
中学1年の最初の定期テストで、思いがけず学年6位の成績を取りました。「あれ?意外とやれるかも?」
それからというもの、市内の塾の体験授業を立て続けに申し込み、自分に合う塾を探し出し、その塾に通いたいと、自ら親に相談したそうです。

「中学時代、サッカー部では部長を務めていました。ただ、サッカーで進学するほどの才能はなかったのです。中学時代は。サッカー以外で夢中になったことといえば、なぜか将棋にもハマっていましたね。祖父とはよく将棋を指していましたし、中学校でも、休み時間を使って将棋大会を主催して、同級生と競っては、よく優勝していました。
今思うと、将棋とサッカーには通底している部分があります。右サイドを攻めると見せかけて、実は左サイドで勝負をかけているなど。将棋も駒毎に役割や動きの特徴が異なるので、組織的にかつ構造的に局面打開にするという意味では、サッカーのピッチと将棋盤の大小の差はあれど、この2つは似ているかもしれないですね。」

物事をメタ化して、構造的に捉え、目的を果たそうとする戦略的性格が感じられるエピソードでした。

3. 高校時代: 鍛え抜かれた精神力と仲間との結束

その後、曽志崎さんは、、

埼玉県内の公立の男子高に進学します。

「中学で勉強ができた(と思っていた)ので、早慶の私学を目指していましたが、ことごとく不合格を突きつけられました。心が折れそうでした。残りの1ヶ月で理科・社会を叩き込み、すがるようにして、なんとか最寄りの公立進学校に滑り込みました。ただ今思うと、思いがけず、この学校に入学したことが、人生最初の転機だったと思います。」

県立では珍しく男子校で、進学校でありながらも、映画やドラマ化された「ウォーターボーイズ」のモデル校でもあるように、部活も文化祭も非常に熱心な学校でした。
特に、文化祭開催二日間で約3.5万人を動員していたといった話には驚きました。

高校でも部員数100人を超えるサッカー部に所属。
高校3年生の8月までサッカー漬けの高校生活が始まります。
また、サッカー生活だけではなく、体育の授業を通して、精神力と組織力を鍛え上げられたといいます。

「体育の授業はユニークでした。というか鬼授業でした。毎年春になると、新しいクラスメートの面々40人で走る、1,500m走があり、全員必死になって走らされました。1年生のときは、まさに洗礼授業です。手を抜くことは一切許されません。なぜなら、一定水準を満たさないと、延々と1,500mの授業が毎週のように続くからです。たしかその当時、男子の全国平均が確か6分10秒程度だったと記憶しています。そのような中で、クラス平均のタイムが5分30秒を切らないと、1,500m走が毎週続くと言う内容でした。
これだけ聞くと「全国平均よりも40秒短く走るだけでしょ?何が大変なの?」と思われるかもしれません。よく考えるとわかりますが、もしクラスのたった一人の生徒だけでも、全国平均を大幅に超え、10分というタイムを記録してしまったとします。その場合、彼がオーバーした4分30秒を他のクラスメート全員で生徒全員で力を合わせて少しずつ短縮する必要があります。具体的には、残りの39人全員が各々のタイムを7秒ずつ短縮してゴールする必要があります。これが全然短くならないのです。始めの授業で達成したい一心で、すでに皆はじめから、全力を尽くしてますからね。それに、季節はあっという間に夏に向けて進んでいきます。どんどん苦しくなります。毎年春は絶望的でした。中には、秋の体育祭当日まで1,500m走をやっていたクラスも有りました。ただ、学校中の生徒が見守る中で達成した成果には、感極まりますね。これぞ組織、といった具合です。」

4. 大学時代〜会社員時代 : ジョブズに魅せられ芽生えた独立心

高校卒業後は、一浪を経て、慶應義塾大学商学部に入学。

大学時代は、サッカーとともに飲食関連を中心としたバイトにも勤しんでいました。

「色々な飲食系バイトを転々としましたね。渋谷のカフェダイニング、丸の内のシアトル系コーヒーカフェ、恵比寿のエスニックバー、池袋のイタリアン、など。昔は他人と話すことへの苦手意識があったのですが、臆すること無く人と話す力がついたのは、この頃の経験が大きいかもしれません。」

また、練習の厳しいサッカーサークルに所属し、毎週末のように関東各地で行われる試合に出かけては、それら試合結果をHPにアップする作業を担当するようになりました。当時は、HTTPファイルをテキストエディタで編集更新して、FTPサーバーへアップロードするという原始的な作業方法でした。その頃から、ITに興味を持ち始め、そんな最中に出会ったのが、iPhoneだったそうです。

「ガチンコなサッカーサークルで練習も厳しく、1日でも休んだり遅刻すると、メンバーから冷たい目で見られる環境でしたが、その日はサボって、表参道のソフトバンクショップに行きましたね。目当ては、iPhone 3GS。あの小さな端末を手に収めた時の高揚感は今でも覚えています。そんなもの買ってどうするんだよ、と、チームメートにバカにされたのもつかの間、その年の就職活動では、ほぼすべての同級生たちがiPhone片手に就活説明会のWeb予約をしていましたね。
iPhoneが瞬く間に世界を席巻していったことの強烈さは皆さんご記憶のとおりですが、ご多分に漏れず、スティーブ・ジョブズの成功に、独立心を大いに刺激されました。そうした経緯からか、海外への興味も自然と広がり、卒業旅行は人生初海外・一人海外バックパックと決めました。卒論を早々に終わらせ、朝から晩までバイトに勤しみお金を貯め、同級生たちと卒業旅行は行かず、ユーレイルパスを利用したヨーロッパの旅と、アムトラックを乗り継いだアメリカ横断という一人海外に行く卒業旅行を敢行しました。今思うと、それまで英語経験もなかった中でよく挑戦したなと、我ながら感心ですが、この時も旅先での情報集め・宿予約では iPhoneに助けられましたね。」

就職活動では、IT系や商社などを志望する中で、複数の内定先の中から専門商社を選びました。鋼材の受発注管理に関わり、現場の営業担当として工場を行脚する傍ら、多くの業務システムやIT部署とも絡むことがあり、「業務変革には、やはりIT推進が鍵だ」 とIT業界への興味が再燃します。
23歳だった2011年の当時、手に取った大前研一氏の書籍に感化され、「この先のキャリアにIT・会計・英語は必須」という趣旨に共鳴。将来的な独立も視野に、総合コンサルティングファームのアクセンチュアへの転職を決意します。

「アクセンチュアに転職してからは独立起業といったことを考える余裕はまるでなかったです。横で仕事しているどの先輩もマネージャーもパソコン操作が速すぎて、資料も綺麗すぎる。僕はといえば、議事録作成一つおぼつかなかった。そんな入社時からの3年間はあっという間でした。参画プロジェクトも多く、次々と新領域へアサインされて、キャッチアップストレスへの耐性はかなり磨かれたと思います。何よりも、人もPCも次々と変わる環境に左右されず、どんな組織でもうまく関係を築き、仕事環境に適応し、作業を進捗させ、課題解決を尽くす力と心が鍛えられた時期です。今思うと、貴重な鍛錬期間だったと思います。また思いがけず、シンガポールやフィリピンに赴任する機会もあり、ビジネス英語経験を積むこともできたことは、今現在、英語案件にアサインされている状況にも大いに活きていると思います。」

アクセンチュア在籍後、3年が過ぎ退職。高校時代のサッカー部の先輩が創業したスタートアップに参画し、ウェブメディア事業の運営を主軸とするキャリアをスタート。ウェブエンジニアリング・ウェブマーケティングの経験を積み、いよいよ2017年に独立します。

「予定はしてなかった、思いがけない時期での独立でした。当時は29歳でした。まずは個人事業主として独立しました。その間、様々なミートアップイベントに参加しながら、交友関係を広げ、それまでの経験で培ったコンテンツマーケティングやデータ分析案件を受注して、生計を立てていました。ただ、その頃は、会社員時代に比べると極めて孤独でしたね。キャリアの先も見えず、仕事も限られている。単純に言うと、とにかく暇でした。毎日やることと言ったら、朝のランニングくらいでした。
ただ、まさにそのランニングの時に、走りながらスマホのRadikoで聴いていたラジオ番組 が、J-WAVE「JK RADIO TOKYO UNITED」やTOKYO FM 「CRONOS」でした。

実は、この2つのラジオ番組のMCをそれぞれ担当していたのは、僕が幼少期にドハマリしたプレステのサッカーゲーム、ウィニングイレブンシリーズ(通称 ウイイレ)の実況と解説を担当していたジョン・カビラ氏と中西哲生氏の二人でした。この二人の声はゲームプレイ中、耳タコになるくらい聞いていましたが、ゲーム以外で、しかも毎朝、彼らの肉声(ふたりとも大変いい声の持ち主)を聞くのは初めてで新鮮でした。この番組を聴く時間が増え、それまでのウェブメディア運営の経験を背景に抱き始めた興味が、音声コンテンツ、すなわち、『ポッドキャストメディア』の可能性でした。

ラジオ越しに、映像もなく声だけで親密さをも感じさせてくれる彼らの存在がなければ、僕が音声メディアに興味を持つということはなかったかもしれません。ある意味サッカー(ゲーム)が繋いでくれた音声メディアとの出会いだったかもしれませんね(笑)」

5. 現在 : 音声メディアで、人の心を動かしたい

そんな音声メディアとの出会いから、自らもポッドキャスト番組をスタートさせる事になったきっかけは、今も自ら運営するポッドキャスト番組「ラジレキ〜思わずシェアしたくなる歴史の話〜」で一緒にMCを務める相方からの声がけでした。

「曽志崎さん、独立って言ってもまだまだ暇でしょ?この前、教えてくれた例のポッドキャスト、作りましょうよ。」

独立して早々のタイミング、他にやることもなかったあの時期に、声をかけてくれたことで一気にポッドキャスト制作にのめり込むことができたと思います。そして、その直後には、「デジトラ〜デジタルビジネス最前線〜」の番組のMCとなる相方にも出会い、この2つの番組の制作経験が、自分にとっての起業テーマを確信させ、これらの経験が、2018年の創業へと繋がり、現在の企業向けポッドキャスト制作支援事業「PROPO.FM」 の礎になっていきました。

「企業は、この先ますます自分たちの言葉で、顧客や消費者と関わっていく時代になると思っています。そうした時に、最優先の選択肢としてYouTube発信が候補に挙がるものの、制作費用も配信前のビジュアル確認の負担も大きいため、視覚的な魅力はあるものの、あまり長尺なコンテンツを作りづらいという課題がYouTubeにはあります。一方で、ポッドキャストは映像がない分、費用も抑えられ、ビジュアル品質も気にすることなく、とにかく話して編集すればコンテンツになる、一本あたりの一人当たりコンテンツ消費時間も動画より5〜10倍と圧倒的に長い、という点が注目される理由です。

近年はYouTubeにおいて、ポッドキャスト配信に連携されるような仕様変更がありました。そのため、YouTubeチャンネル運用の一環として、ポッドキャスト配信を行い、費用を抑えた、効率性の高いYouTube発信の手段としても、ポッドキャストを選ぶ企業さんが増えてきている印象があります。

また、何よりも、音声は口述しか使えないという制約があり、ビジュアル訴求が通用せず、それ故に、口述表現で聞く人の関心を掴んでは離さない、話し手の思考の深さや熱量の大きさが試されるメディアという特徴があります。つまり、誤魔化しの効かないメディアです。その意味では、発信する企業組織にとってはチャレンジですが、そのハードルを超えた企業とリスナーの間に生まれるロイヤリティには大きな可能性があると思っています。そうしたハードルを越えようとする企業さんのお力になるべくポッドキャスト制作支援事業を営んでいます。」

最後に今後の展望を伺いました。

「ポッドキャスト番組を聴いて心動かされる人や、ポッドキャストを聴いて刺激を受け、自分も何かに挑戦してみたいと思う人が一人でも増えるために、ポッドキャスト番組の認知を広めることに貢献したいです。また、大企業のコンテンツを題材としたポッドキャスト企画もさらに増やしていきたいです。企業それぞれが持つ各社の魅力・ストーリーを深く吸い上げて、もっと音声コンテンツにし、世の中に広く認知を広げるためのご支援を磨いていきたいと考えています。」

編集後記)
ラジオやポッドキャストを一切聴かない私にとって、曽志崎さんの音声配信ビジネスの話はとても新鮮でした。と同時に、私は移動の際、ビジネス系の配信動画をスマホでよく「聴いている」ことに気付きました。動画でたまに表示されるスライドやフリップさえ見えれば、他の8~9割の時間は音声しか聞いていないのです。
その瞬間に、私も音声配信事業の可能性を感じ、自分のビジネスでどう活用できるかを考えている自分がいました。ぜひ私もこれからのポッドキャスト・音声メディアを注視していきたいと思っています。

(取材:金居宗久)