No.006 福島聖世様【SIerからコンサルファームを経て独立し、理想の組織作りの道を究める】

ビジネスコンサルタントとして独立しながら、自らの夢である“本質を理解した組織づくり”を探究する福島さんは、当社案件に参画いただき高い評価を得ております。いつも穏やかで柔和な表情からは想像できないほどの心身のタフネスさは、幼少時代に始められた剣道を通して心技体を鍛えた賜物だと感じました。

略歴)
1989年広島県出身。立命館大学卒業後、新卒でTIS株式会社に入社。
SEとしてOracle製品などのERPの開発、運用保守に9年程従事。
その後、デロイトトーマツコンサルティング合同会社に転職して、ITコンサルタントとしてSAPグローバルテンプレート導入に向けた構想策定/デリバリー、デジタルアセットを活用したビジネス創出にむけてスマートシティ関連の構想策定からPoC推進PL・実施支援に従事。2023年から独立。

インデックス

1. 未熟児で生まれた少女の腕白な幼少時代

九州出身の父と、栃木出身の母を持つ福島さんは広島県で生まれました。
一卵性双生児だったお姉さまは出生時にお亡くなりになり、福島さんは1,500g程度の未熟児で生まれ、4歳上の兄を含めて4人家族でした。

「建築事務所を経営していた父と、専業主婦の母との間に生まれました。生まれた時は未熟児だったので、兄は妹の私を優しく接するように親から言われていたため、今でも優しいです。そのため、私が兄に対していつもわがままを言っており、幼少時代はテレビを変えてと命令するくらいでした。(笑)」

福島さんは2-3歳の幼少時代から読書が大好きで、特に「からすのパンやさん」がお気に入りだったようです。また、ご本人曰く、気が強くて外で遊ぶのが大好きで、近所の山でターザンごっこをよくして遊んでいた腕白少女でした。

2. 精神修養の礎となった剣道との出会い

小学校では引き続き読書好きで、小説に夢中になっていたようです。
また、地元のスポーツ少年団にも所属されて、文武両道の道を歩まれていました。
学校のスポーツテストでは、女子Aランクという数年ぶりの記録を叩き出すほどで、球技以外はスポーツ全般が得意だったようです。
そして、様々なスポーツ競技の中で運命的な出会いをします。
それが剣道との出会いです。

「剣道をやっていた母の影響で、はじめは兄が習っていました。私は兄の稽古に着いていくうちに、いつしか興味を持ってしまい、剣道を習い始め、母や兄よりものめり込んでいました。
日々の練習は厳しかったですが、試合よりも日々の稽古の方が好きでした。」

3. ハリー・ポッターを通じて英語に目覚めた学生時代

中学は地元の公立校に進学し、スポーツ少年団と部活を通して、剣道を続けていました。

「スポーツ少年団ではずっとレギュラーには選ばれたことはなかったのですが、最後の最後に選ばれて、そのチームで優勝できました。
一方で学校の剣道部は弱小で部長だったのですが、メンバーがほぼ初心者で、顧問もいるのかいないかわからない状態だったので、私が自らメンバーを教えていました。ここでは、スポーツ少年団のレギュラーメンバーが通っていた剣道の強豪校でなくとも、指導する先生がいなくても、努力することで実績を残せたのはとても自信になりました。 」

そして、中学に入ると、剣道以外で夢中になることができました。
英語です。
ずっと読書好きだった福島さんは中学時代に、「ハリー・ポッター」の世界にはまり、原作を英語で読みたいと切望するようになりました。

「従兄が英国と日本のハーフで英国在住だったので、お盆に日本に遊びに来ていました。その影響もあってか、英語に興味を持ち、大好きなハリー・ポッターを英語の原作で読みたいと強く考えるようになりました。そして、その頃は英会話スクールにも通うようになりました。」

ここまで読むと剣道と英語に打ち込む文武両道で完璧な学生時代に見えますが、人間関係の中でも様々な経験がありました。

「友達とは地元のショッピングモールで映画を見たり、お茶したりして普通に過ごしていましたが、入学当初は結構危ないこともありました。中学入学1週目で、いわゆるヤンキー軍団に注意したら囲まれてしまい、目をつけられたこともありました。当時は臆することなく言ってしまう性格だったので、自分を解放し過ぎると、摩擦がいろいろと生じることを学びました。」

そして、高校に進学しても剣道と英語に対する想いは続きます。
高校でも剣道部に所属し、平日のみならず週末では19時まで学校で練習して、さらに20-21時で道場にて稽古をするなど、週6日ほど練習していたようです。
この剣道は大学3年生まで続けられていたそうです。

そして、福島さんは大学受験の時期を迎えます。
英語がずっと好きだったこともあり、翻訳家を目指そうと思い、英文学を専攻にしようと考え、塾や予備校に通うことなく、学校の先生に指導の下で、立命館大学に合格して入学されました。
立命館大を選んだ理由は、学校設備も充実しており、海外との提携が厚かったことでした。

大学生活も振り返っていただきました。

「剣道と英語は引き続き続けていましたね。剣道サークルに入っていました。また、日本語のチューター生をやっていたデンマーク在住のロシア人と仲良くなりました。彼女のデンマークの実家や私の広島の実家をお互いに訪問しました。」

「他にも学生時代は、バイトを少ししました。和食レストランで1年、フルーツパーラーで1年ほど働きました。また、あまり声高には言えないですが(笑)、ノート代行ビジネスにも参加していました。要は学校の講義で真面目に出席してノートを書いている人が、普段講義をさぼっている学生にそのノートを貸してあげるんですね。私はノートを貸す側でしたが(笑)。」

どこの大学でもこのようなノート代行ビジネスはニーズがありますね。

そして、就職活動の時期が到来します。
福島さんは商社やメーカーと言った様々な業界を受けた結果、専業主婦だったお母さまが手に職をつけるように言われたことも影響して、最終的にはシステムエンジニア(SE)の道を選ばれました。
そして、そこでは彼女にとって、人生でも初めてと言われるくらいの大きな挫折を味わうことになりました。

4. 人生初の大きな挫折を味わった新卒のSE時代

「新卒でTIS株式会社に入社しました。ここでは本当に大変でした。
これまでの人生でも挫折や失敗を乗り越えるように努力してきましたが、TISでの新人研修時代では、本当に成績がひどくてビリの方でした。仕事ができなさ過ぎて、自分でも唖然として、会社帰りに涙が溢れるほどでした。」

これまでは文武両道で常に結果を出し続けてきており、今でもITコンサルタントとして活躍されている福島さんの口から、このような挫折の話を聞いて、正直驚きました。
そのような人生初の大きな挫折をどう乗り越えたのかをさらに聞いてみました。

「人生で一番努力したのは、TISの新人時代の3年間ですね。本当にできない自分から逃げたかったけど、もともと頑固だし、何かを始めたらなかなか辞められない性格であったので、何とかして乗り越えようと必死に努力しました。例えば、基幹システムのアドオン機能をすべて把握したり、OracleのDB構造をすべて手で書き出しながら読んで理解したりするなど、自分の担当外の領域にも染み出してキャッチアップしていきました。
このように必死に努力しているうちに、社会人3年目以降で、お客様の役に立てたと少しずつ感じるようになりました。また、10歳年上の先輩から少しずつ認めてもらえるようにもなり、TIS時代の9年間はその先輩とずっと一緒に働いていました。」

9年間のTIS社でのSE生活の中で、開発案件のさらなる上流工程への興味と、加えてもともと英語が好きだったためにグローバル案件にも挑戦したいという想いが募り、コンサルティング業界への転職を決意されました。
そして、デロイトトーマツコンサルティング社(以下、デロイト社)に転職されました。

SEからITコンサルタントに転職される方も少なからずいるなかで、その職種の違いを福島さんに尋ねてみました。

「SEとITコンサルタントの違いはいろいろあります。
まず、ITコンサルタントはビジネスを捉える視野が広く、さらに論点を整理して伝える力があると思います。また、クライアントとのやりとりの際もストーリーを持って提案しようとしています。
一方、SEは開発というモノづくりをしているので、プロジェクトにおけるリスクや課題への解像度が非常に高いです。ウォーターフォール開発やV字モデルの概念に留まらず、そのひとつひとつを体験と共にしっかり理解していることが大きな理由だと考えます。」

デロイト社での前半はSAP案件に参画され、後半では補助金を活用しながらPoCを推進する公共系案件に参画していました。また、デロイト社ではプロボノ活動にも参加されて、リスキリングという新たなテーマにも出会いました。

「NPO職員向けにRPAを教育するプロボノ活動でした。就職することが比較的大変であるシングルマザーや難民の方々に、RPAソフトのUiPathを教えて働けるようにする活動でした。そこで、昨今でも話題によく挙がるリスキリングの重要性も痛感しました。リスキリングは、今後の自分のテーマのひとつとして考えています。」

5. 独立、そして今後の夢

福島さんは約3年のデロイト生活を経て、2023年に独立されました。
そこで独立された理由を伺いました。

「クラウド人材バンクさんにも独立以前からご相談させていただいたように、独立は視野に入れていました。理由は、視野をもっと広げたいと考えたからです。
SE時代にはシステム開発というモノづくりに興味を持ち、さらにもっと視野を広げるために上流工程を経験すべく、ITコンサルタントになりました。しかし、もっとビジネスの本質を理解した上で、後工程のモノづくりに関わりたいと考えるようになりました。まだうまく言語化はできないのですが、ビジネスの本質を理解しながら、事業サイドと開発サイドを繋げていけるような役割になりたいと考えています。その一環として、今はスタートアップ企業の支援を通じて、組織やチーム作りにも従事しています。」

このように、自らテーマを設定して、自律的にキャリアを形成していく福島さんに、これからの夢を聞いてみました。

「先述したように、ビジネスの本質を理解して貢献できるような組織づくりに興味があります。それをいつか自分でも作ってみたい。自分で立ち上げるのか、どこかの会社に属して作るかまではわかりませんが、組織作りに興味があります。最近では、DiscordやDAOを使ったり、Code for Japanといった活動を見ていたりすると、顔や名前も知らない人たちが同じ目的に向かってコミットして作り上げていく世界観はいいなあと思っていて参考にしています。」

学生時代は個人戦である剣道に捧げた福島さんが、なぜそこまで組織作りに目覚めたのかの理由を伺ってみました。

「SEになった社会人4-5年目で少しずつ成果が出始めて、自信がかなりついてきて調子に乗ってしまいそうなタイミングが実はありました。しかし、そこで自分の限界を知る機会に遭遇しました。その時は、リーダーという役割で、上司も部下もいたのですが、なかなか首尾よく動けない時があり、そこで会社側が守ってくれたことが原体験としてあります。組織のありがたみと価値を痛感した。」

最後に当社への今後の期待やご要望を伺いました。

「金居さんとは独立前から知っていたので、独立を考えている際は親身になって相談してもらい助かりました。また、独立後もクラウド人材バンクの担当の方から案件をすぐに紹介いただき、大きな不安もなく独立できたことは感謝しています。
また、御社経由で10名以上のフリーランスの方が参画しているプロジェクトにいますが、他の方々と懇親会を設定いただき、話せたことは大変感謝しています。大プロジェクトなので、いろいろなチームに分散していて、顔は知っているけれど話す機会もなかった同じフリーコンサルの方たちと繋がれる機会はありがたかったです。」

独立という選択肢に迷われている方に、様々な情報を提供して、意思決定する上でのご支援をする。そして、独立後は、最適な案件をご紹介して、不安がないように力強くキャリアを歩んでいただく。
そうすることで、人材の流動化が加速して、日本の競争力も強化される。
このような理念のもとで、私達は引き続き、デジタル人材バンクを提供していきたいと考えます。

インタビュー所感)
福島さんとは独立前から仲良くさせていただいていますが、彼女と話していると「道(TAO)」という言葉を思い出します。まさに剣道を通して、その理由を強く認識したインタビューでしたが、いまは趣味で始められたフィットネスも非常にストイックに取り組まれています。
私も健康のために週1日程度はジムに通うようにしているが、それとは次元が違います。
写真のように日々のジム通いで鍛え上げて食事制限もして大会に参戦するなど、本当にハマると徹底的に取り組む方だと感じています。そんな彼女が、これからどのような理想の組織作りをするのか、非常に楽しみにしています。

(取材:金居宗久)