No.004 倉嶌洋輔様【エンジニアからキャリアを切り開き、AI領域の出版やコンサルタント、講師などで多方面に活躍】

著書「AI時代のキャリア戦略」を出版され、企業での講演活動もしながら、コンサルティング案件にも従事されている倉嶌さんは、軽井沢/東京のデュアルライフ(二拠点生活)をされています。そんな倉嶌さんの幼少期の原体験からキャリアの軌跡、今後のビジョンなどを伺いました。

略歴)
1985年東京都出身/長野県在住。
明治学院大学法学部卒。グロービス経営大学院修了(MBA)。 
新卒で株式会社ワークスアプリケーションズに入社。
その後、株式会社ビジネストータルマネージメント(現・株式会社BTM)や富士ゼロックスシステムサービス株式会社(現・富士フイルムシステムサービス株式会社)を経て、株式会社Focus on​(https://www.focuson-inc.com/)を設立し、代表取締役に就任。

インデックス

1. 自然に触れた、やんちゃな少年時代

倉嶌さんは東京都板橋区で共働きのご両親のもとで生まれました。
「父は建築事務所を経営し、母はその会社の経理を担っていました。また、一学年下の弟がいます。私は小さい頃からどちらかと言うと、ガキ大将のリーダー気質でしたが、少しいたずらの度が過ぎることがあり、親を心配させることも度々ありました。例えば、幼稚園の壁に赤い緊急ボタンがありました。それは消防署に連絡する緊急ボタンですが、当時は何かわからず、どうしても押したいという衝動に駆られてしまい押してしまいました。すると、けたたましいサイレンや消防隊の到着で友達は泣き、園内も大騒動で、先生と園内を一周して何をしたのか諭されました。」

そんないたずら好きの倉嶌少年もLEGOブロックにはまっており、船などを作って、お母様に褒められることが何よりも好きだったようです。
また、お父様は建築家ということもあり、フランク・ロイド・ライト展に連れられたりしている影響もあって、図工が好きだったようです。
そして、小学校に進学すると、サッカーに夢中になり、友達とひたすらサッカーに明け暮れたようです。

エコポリスセンターでのワークショップ

そして、小学校高学年になると、地元に板橋区立エコポリスセンター(https://itbs-ecopo.jp/)が設立され、そこに足繁く通うようになりました。

「いろいろな展示物やワークショップが開催され、よく通いました。酸性雨の調査で近くの池のPH(ペーハー)を毎週測るワークも楽しかったし、フィンランドなどの海外の少年少女との交流もあり、グローバルを感じるよいきっかけでした。また、他に印象的だったのは送迎に普及前のEV(電気自動車)が使われていたことでした。その思い出もあり、東京に住んでいた時は自動車にあまり興味がなかったのですが、軽井沢移住に伴い、あの頃のEVを思い出し、今はテスラに乗っています。」

「また、エコポリスセンターでは自然を体感するイベントもあり、東京都出身の私には新鮮な体験でした。雪中キャンプや丹沢湖の沢登りなど、とても楽しかったです。その原体験もあり、自然豊かな軽井沢に移住しました。」

2. 部活動に明け暮れた中高時代、積極的に学ぶ大学時代

地元の公立中学に進むと、サッカー部に入り没入されたようです。

「中学時代はサッカー漬けの日々でした。イタリアのリーグ(セリエA)をよく観戦していて、当時は、インザーギ、バッジョ、ジダン、ダービッツが好きで、週6日はサッカーをしていました。」

そして、高校ではスポーツ推薦もある私立本郷高等学校の理数科に進学されましたが、部活ではサッカー部のカルチャーに合わなかったようで、バレー部に入部されました。
また、小学校時代から将来の夢はサッカー選手でしたが、この頃になるとお父様と同じ建築家を目指すようになりました。しかし、物理が苦手だったようで、少し逡巡されていたようです。
それから大学では明治学院大学の法学部政治学科に進学。自立すべく、生活費は奨学金で賄いながら、横浜で一人暮らしの大学生活が始動しました。

「興味があれば、明治学院大の他学部多学年の学生と議論したり、他大学にも潜って講義を受けていました。そして、原子力政策を批判的に学ぶ講義等に潜り込んだり、他大学のゼミにお邪魔して議論の場でも積極的に発言していました。また、英語も好きだったので、ニュージーランドに留学しました。そこでは特に韓国人が多く、彼ら彼女達は反日のイメージでしたが、付き合ってみると実際はそうでないと体感。小学校のエコポリスセンター時代から、グローバル体験には依然として興味がありました。」

2009年のNZ留学中の写真

それからアルバイトではプリンスホテルのボーイもしながら、大学3年で少し早い就職活動に突入します。また、ここで人生の転機となる出会いがありました。

3. 就職倍率200倍のワークスアプリケーションズへの新卒入社

「就活ではいろいろな会社を見ましたが、圧倒的に成長できる環境に身を置きたいと考えていました。その中で一番印象的だったのが、倍率約200倍の狭き門としてインターンシップを募集していたワークスアプリケーションズ社(以下、ワークス社)でした。当時のインターンシップの内容は非常に厳しくて、積極性と競争を求められる環境でした。ネットに接続できない部屋で教科書と自分の頭だけで考えろという環境で、まずはITシステムの企画を考え、そのアプリのモックアップをつくれというミッションを渡されました。そんな環境で競い合ってきたので、自分で頑張った分だけ成長できました。そして、創業者の牧野正幸氏のカリスマ性にも魅了されて、入社を決意しました。」

もともと文系でプログラミング経験もない倉嶌さんにとっては、エンジニアへの道に進むことは挑戦でした。また、破竹の勢いであったワークス社では、新卒年収も当時500万円と高給でもあり、優秀な学生は引き寄せられていました。

そして、ワークス社で何年か従事しているうちに、BtoBではなく、BtoCのシステムへの興味が沸き、株式会社ビジネストータルマネージメント(現・株式会社BTM)に転職されました。そこではiOSエンジニアとして、メガベンチャーなどの人気アプリの開発を担当されました。その後、よりビジネスに近い上流工程を担いたく、富士ゼロックスシステムサービス社に転職。大型案件のPMを担いながら、時にはUIUXデザインもするSEとして、八面六臂の活躍をされていました。
さらにビジネスをもっと学びたいという想いが高まり、MBAのグロービスに入学。
ここでも人生の転機となりました。それはいまの奥様と出会い、さらにAIの道が開けました。

4. AIとの出会い

グロービス在学中の2015年に、AIを研究する経済学者のシンギュラリティに関する講演を聞いて興味を持ち、さらにビジネスプランコンテストへの参加が、AIと本格的に出会う機会となります。

グロービスのビジネスプランコンテストでの最終選考

「ワークスのインターンでの体験がきっかけとなり、私は知識をインプットするだけでなく、それをアウトプットしていくなかで、徹底的に自分のものとして体得していくようにしています。このAIも概念として理解するだけでなく、それをプロダクトとして開発しようとして、グロービス主催のビジコンに出ました。内容としては、AIを使って漫画家に役立つサービス開発をしましたが、結果は最終選考で落選。しかし、この体験を通して、AIというテクノロジーを活用できるレベルになりました。」

そうして、コンサルティングやワークショップ等の経験をもとに、NewsPicksでの次世代著者発掘プロジェクトで最優秀賞を得て、以下の書籍を出版されています。

「AI時代のキャリア生存戦略」(https://amzn.to/3sJevNF

この書籍はAIに関する特別な知見がなくても、難しい内容を非常にわかりやすく記載されています。人類最古の叡智であるヴェーダでは、「知識と体験は進化の両輪」という言葉がありますが、まさに倉嶌さんはこの言葉を体現している方なので、このようなわかりやすい著書も上梓できるのだと痛感しました。
そして、フリーランスとしての独立の道があることを知り、独立する決意をされます。

「迷った際は妻に常に相談します。私は論理的に説明しますが、妻は直感的にも前向きに捉えてくれて、ぜひフリーランスとして独立してやるべきだと強く背中を押してくれました。
また、もともとはデュアルライフや執筆家にも憧れていました。そして、それを実践されている執筆家の四角大輔さんにNZの田舎町の空港でたまたま出会う僥倖もあり、その想いは加速して、自然豊かな軽井沢と東京のデュアルライフも決めました。私が幼少時代にエコポリスセンターで体験したように、自然を通して学ぶ経験を、軽井沢で我が子に受けさせたいという想いがあったからです。」

独立後はコンサルティングや講演活動、プロダクト開発、Tech系YouTuber、ネイチャーフォトグラファーなど、倉嶌さんらしい活動の幅を広げています。

https://jcat-gallery.com/yosuke-kurashima/

https://jcat-gallery.com/yosuke-kurashima-solo-exhibition

5. 今後の日本の競争力強化に向けて

様々なインタビューを受けられ、講演活動もされている倉嶌さんは、現在も当社のAI系コンサルティング案件に参画いただいています。
そのような中で、当社の理念“人材の流動化によって、日本の競争力を強化する”という点について、感じることをお伺いしました。

「日本の競争力をさらに強化するためには、我々は新たな成功体験をもっと作る必要があると考えます。例えば自動車業界で言うと、他社は追いつけないような素晴らしいハイブリッドエンジンを作りましたが、成功のジレンマに陥り、EVの展開で遅れを取っています。再生可能エネルギーの発電設備や充電網も全世界で展開している他社に比べ、考え方も実行していることも20世紀の延長になっています。このままでは、今後のEV以降の世界では勝ち残っていけないと思います。次の成功体験を作れる環境を整えるべきです。」

充電中のテスラ

では、これからの時代において、新たな成功体験をどのように積み上げていけばよいのだろうか。

「異なる領域から人材が移り、その業界の常識をどんどん破壊すべきと思います。例えば、EV業界を牽引しているテスラ社は、ソフトウェアエンジニアが、自動車というハードウェア業界に移り、革新的なアイデアが創造された。それが従来の自動車の売り切り型モデルからの転換ですね。私もテスラの車をいま乗っていますが、例えば、購入当初、車内カメラが付いているので何に使うのか調べてみたところ「現時点で用途はなく将来機能追加される」とあり、不思議に思いました。その後、ソフトウェアが更新されていくと、確かにそのカメラで自動運転中のよそ見運転や居眠り運転時にアラームが鳴る機能が追加されました。最近では、車内でZoom会議するためのカメラとしても活用されることも発表されており、これには驚きました。今後も顔認証で盗難検知や登録したドライバーに合わせた座席やハンドルの位置への自動調整などが追加されるかもしれません。さらにはブレーキのリコールをソフトウェアアップデートで回避したことまでありました。売って終わりではなく、スマートフォンと同じく古い型も含め、製品が進化し続けているのです。」

異業種を跨いだ人材が流動化していき、それぞれの領域の常識や慣習を壊していくようなイノベーションやDXを生んでいくことの重要性は非常に共鳴できました。では、そのような異業界/異業種に人材が流動化するためには、何が必要だと考えるかを続けて聞きました。

「まず組織単位としては、本社から切り離した子会社を独立採算にして設立することがよいという意見があります。そもそもトヨタ自動車の親会社は豊田自動織機でしたが、本社から独立されていたため、その後のグローバル企業まで進化を遂げることができたのです。日本企業も独立採算の別会社として、先端系の企業を作るべきでしょう。」

「次に個人単位での変化に必要な要素は、勇気と強制力かと思います。
私は独立する際もいろいろ調べたりして勝算はありましたが、やはり不安もありました。妻の後押しも大きいですが、やはり勇気を出して自由に自分の意思で付き合う相手を決めることができる会社の外へ出ることへ挑戦したことはよかったです。
もう一つ大事なことは強制力を持って、自分が頑張るしかない環境に身を置くことだと考えます。独立すれば、自分で稼がないといけないです。先述したワークス社のインターン生が強制的に成長する場に身を置く原体験に似ています。あきらめれば、選考から落ちる背水の陣に身を置くということです。」

6. フリーランスで成長するために大事にしていること

最後に独立したフリーランスとしてキャリアアップを実現する上で大切なポイントを聞いてみました。

「先述した勇気にも近いですが、挑戦することが大切だと思います。思い切って飛び込んでみる。私もAIのプロダクト開発に挑戦して失敗しても、実際に頭だけでなく手を動かして試行錯誤することで、AIといったテクロノジーの根っこを理解できましたし、NewsPicksの執筆プロジェクトにも応募しました。その結果、コンサルや出版といった次のステップに繋げることができました。

また、企業と同様ですが、どうなりたいかといったビジョンも必要だと考えます。それがないと、お金がよいとか楽に稼げる案件に安易に流れてしまうリスクがあります。そうならないように、ビジョンやロードマップといった観点を忘れないようにしています。」

「フリーランスという立場は自分にあっていると思います。なぜなら、いろいろな案件への参画を通じて、様々なスキルセットやビジネスマインドの方と協業するので、その人たちのよい点をどんどん盗んでいくことができます。ここは同質化された会社や組織でいる時とはまた違ったメリットがあります。
デジタル人材バンクさんに紹介いただいた案件も、自分としてはチャレンジな要素を含むので、非常に感謝しています。」

ビジョンを描き、果敢に挑戦を続け、強制的に自分が成長する環境に身を置こうとしている倉嶌さんのさらなる活躍が楽しみです。

インタビュー所感)
お話を伺いながら、倉嶌さんはフリーランスとして独立することで、さらに自分らしさが溢れていると痛感しました。
公私ともに相談できる奥様やお子様と共に念願のデュアルライフを楽しみながら、自分のビジョン実現に向けて、果敢に挑戦していく姿はとても頼もしいです。
当社の理念「人材の流動化によって、日本の競争力を強化する」というなかで、テスラの事例など、異業種の垣根を超えた人材の流動化の重要性を語っていただきました。
是非多くの方が自分らしい働き方を実現する手段として、フリーランスや起業といった選択肢も含めて考えてみる機会となれば幸いです。私たちは挑戦する方を引き続き応援します。

(取材:金居宗久)