No.003 佐々木真様【日本でPM(プロダクトマネージャー)育成に挑戦】
プロダクト開発の成否を決める点において、PM(プロダクトマネージャー)の力量は非常に肝要ですが、国内では非常に枯渇している職種のひとつです。そのような中で、自身のPM経験や米国での学びを還元していく「PM School」「PM Club」を設立して、PM育成に挑戦している佐々木真さんにインタビューしました。
インデックス
1. 小学校教員のご両親と強烈な姉と共に過ごした少年時代
最初にお会いしてから7年以上が経ちますが、常にプロアクティブで頭の回転が早く、話が乗ってくると早口になる佐々木さんは、少年時代から明朗快活な少年時代かと勝手に想像していました。しかし、実際は非常に個性的な姉に隠れた静かな少年時代を送っていたようです。
「生まれは母の実家である熊本県で、育ちは東京都板橋区になります。
両親とも小学校の教員でした。祖父が柔道の先生、祖母が熊本大学教授という結構お堅い家庭に生まれました。小学校時代は今よりも太っていて、どちらかというといじめられっ子でした。低学年時にはそこまで話す子供ではなく、成績も中程度くらいです。書道は4年ほどやっていて、段を持っていました。そして、高学年から水泳に通い、次第に痩せてきました。」
小学校時代から社交的で成績が良くて学級委員タイプかと勝手に推察していたのですが、今の佐々木さんのイメージからはかけ離れていました。
「4歳年上の姉が一人います。自分の姉のことを言うのも何ですが、彼女はとてもやんちゃで美人だったので、学校ではカリスマ的な人気を誇っていました。一方、家庭では非常にわがままで、親と喧嘩して家出をしても、友達が多いので友人宅にそのまま外泊するなど、かなり個性的な姉でした。そんな豪快すぎる姉がいたので(笑)、自分は親になるべく迷惑をかけないように、どちらかというと静かで問題を起こさないタイプでした。」
ご両親が学校教員ということもあり、教育は厳しかったのか聞いてみました。
「私に対する教育姿勢は放任主義で、かなり自由にしてくれました。また、定期的に家族旅行に連れて行ってくれました。夏休みや冬休みの長期休暇では、1~2週間は家族旅行をしました。貯金残高は減るけれど、それよりももっと大事である家族との貴重な思い出が積みあがっていくという親の言葉が印象的でした。」
2. 失敗した医学部受験と充実したICUキャンパスライフ
地元の公立中学に進学されると、尊敬できる先生が多く、学年全体もまとまって非常に充実した学生生活を過ごせたようです。しかし、高校受験になると事態は一変します。
「高校受験で滑り止めとして位置付けていた高校に最終的に進みました。しかし、ここでは言葉は悪いですが、負け癖が強くなってしまいそうだったので、まずは高い目標を掲げて自ら発奮して挑戦しようとして、ハードルの高そうであった医師の道を目指して猛勉強しました。」
しかし、国語や英語といった言語能力系科目は非常に突出していたものの、それ以外の科目が足を引っ張ってしまい、浪人時代を経て医師の道は諦めて、国際基督教大学(以下、ICU)に入学されました。
「ICUはとても自由な校風で大学生活は非常に充実していました。授業はすべて英語で、大好きな英語が思う存分に勉強できました。また、中学/高校時代はバスケ部に所属していましたが、大学では友人とアカペラサークルを作りました。当時はアカペラブームで、RAG FAIR、サザン、ジブリ、マイケルジャクソンなどを歌っていました。」
3. インターネット業界での成功と失敗
今の佐々木さんからは想像できませんが、2012年に就職活動時にはネット業界を狙っていたわけではないようでした。
「学生時代からインターンをしていたテレアポ会社に入社予定だったので、就活はあまりしていませんでした。しかし、今考えると、そのテレアポ会社は待遇や働き方がかなり厳しかったので、心機一転して就活をしようと思いました。ただ、開始時期がかなり遅かったため選択肢も少なかったのですが、その中でも社会人の先輩経由で紹介されたドリコムに入社することにしました。」
新卒で入社された株式会社ドリコムでは、主にWEBディレクションを担当されていました。それから教育とテクノロジーのEdTechに興味が芽生えたようです。
「知人からいまのスタディサプリを提供していたリクルートマーケティングパートナーズ社(現:株式会社リクルート)を紹介されて転職しました。入社後はスタディサプリの前身のプロダクトである受験サプリの事業開発を担当していましたが、様々な失敗を重ねて、社内ではかなりの問題児でした。」
「結局はリクルートに4年ほど在籍しました。今だから言えますが、若さゆえにかなり勘違いして天狗になっていた時代もあり、会社には様々な失敗やご迷惑をおかけしました。
例えば、受験サプリでは看板講師と接する際、スケジュールや期待値をしっかり握れずに、講師を激怒させてしまった経験もあります。今の自分なら、もっと柔らかくプレッシャーにならないようなコミュニケーションができますが、当時はそのような術も知らず、こちら側の都合を中心に言ってしまい、講師や周囲を怒らせていました。」
リクルート時代では、PMの卵として失敗しながらも、周りの先輩や経験を通して研鑽されていきました。それからさらに事業開発やPMの道を究めるべく、佐藤航陽氏が率いる株式会社メタップスに転職して、タイムバンクという新規事業開発を担当することとなりました。そこで、佐藤氏の圧倒的な切れ味と価値観に共鳴して、約2年従事されました。
そして、さらなるステップアップとして、大手スタートアップの子会社として、SaaSプロダクト開発の子会社代表を2年間務めました。具体的には、会議術のグロースハックを目的としたプロダクトを開発していましたが、親会社との方向転換もあり、業績を拡大していたものの、事実上サービスをクローズする流れとなりました。
「これまでPMや事業開発の道を邁進してきましたが、会社代表となり株主との関係性などを学ぶ貴重な機会となりました。非常に大きな時間と魂を込めてきたので、クローズの際は正直寂しかったです。」
SaaS企業の代表退任後はフリーランスとして、様々なコンサルティング案件に携わりました。その際に当社サービスのデジタル人材バンクにも登録いただき、様々な案件のご相談をさせていただきました。その中で、シンガポールにあるWeb3.0系のスタートアップをご紹介して、1年ほど参画いただきました。
「デジタル人材バンクの運営会社代表の金居さんとは長くお付き合いさせていただいており、定期的に人生相談というか壁打ちに付き合っていただく先輩の一人です。今回もフリーランスとして活動していくなかで、何か新たな挑戦をしたいという迸る気持ちがあってご相談したら、Web3系スタートアップを紹介していただき、参画するに至りました。」
しかし、Web3領域のスタートアップ参画や、これまでのPM経験を通して、佐々木さんには大きな気付きがあり、そこに使命感のようなものが芽生える機会になりました。
4. 日本のPMを増やして、プロダクト開発力を強化
「これまでいろいろなプロダクト開発においてPMとして参画してきましたが、プロダクトや会社が変わっても同様の失敗が繰り返され、うんざりするくらい同じ内容の質問や相談を受けました。また、Twitterを通じて、PMに関するアドバイスや相談を受けていたら、いつの間にかフォロワーも2万人を超えました。そんな中で、PMニーズが高く困っている人が多いのに、解決策が日本には少ないことに気づきました。ならば自分で作ろうと思って、コミュニティであるPM ClubとPM Schoolを設立しようと決めました。」
佐々木さんは英語が堪能であるため、PM先進国の米国のスタンフォード大学のPM関連プログラムを受講されました。さらに国内での自身の経験を重ねて、PM Schoolを準備して、2023年3月末に正式版をリリース予定です。
(詳細は、https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000114297.html)
「米国では、スタンフォードといった大学や、Google・Amazonなどのネット企業でPMを学ぶ研修があります。さらにそこで学んだ人材は、他企業に転職するなど、人材の流動化が加速しています。日本では、PM教育と流動化の両方がまだまだ弱いため、そこをもっと推進してきたいと考えています。」
佐々木さんの新たなる挑戦はいま始まったばかりです。
プロダクトマネジメントという日本ではようやく根付きていた領域について、しっかりとした技術や経験をもったPM人材を増やしながら、相互に学びあうコミュニティの形成により、日本のPM業界の底上げとなることを信じています。
インタビュー所感)
佐々木さんのバイタリティや熱量にはいつも驚かされていますが、今回は生い立ちも伺いながら、“意外にも!”静かだった幼少時代の話も伺えた非常に貴重な機会でした。
幾多の失敗を繰り返しながらも、そこで得た学びを次に活かしながら進化するサイクルを学生時代からずっと繰り返してきたことがわかりました。
また、IT人材不足と言われている昨今では、プログラミングスクールが官民双方で増えて、エンジニアは増えています。しかし、プロダクト開発の上流工程を担い、WhatやWhyを考えられるPMは、エンジニアリングのみならずビジネスを理解していく必要があり、一朝一夕には育ちません。そのような中で、PMを育てるスクールができたことは、日本のデジタル社会にとって非常に喜ばしいことだと私は思います。
また、当社としても企業理念「人材の流動化によって、日本の競争力を強化する」を実現するためにも、PM Schoolなどを通して、育ってきたPMの方々を様々な業界に流動化させていけるご支援を少しでも貢献できたらと考えます。
(取材:金居宗久)