No.002 大音まり絵様【いまこの一瞬一瞬を大事にして、本当に好きなことに囲まれた人生を歩む】

首都圏と外房海岸沿いの二拠点生活で、ライフワークのサーフィンを楽しみながら、フリーランスのコンサルタントやコーヒー豆の販売店も展開されている、弊社の登録パートナーである大音まり絵さんを取材しました。

インデックス

1. 大阪で生まれ育った自己主張の強い幼少時代

大阪の北エリアで生まれ育った大音さんのご両親は共働きでした。特に定年まで公務員を続けながら子育てもされたお母様を非常に尊敬しています。

「母が働いていた時代は、昨今よりも女性の社会進出が限定的でした。そのような時代に、産休や有休をうまく取得しながら、生後半年の私を保育園に預けて働いていました。自立志向が非常に強い母で、子供がやりたいことを何でもやらせてくれる環境を作ってくれました。また、母自身も公務員として働きながら、週3日は刺繍教室に通うなど、人生を楽しんでいました。母は75歳を過ぎた今でも、コロナ前までは週5日はジムに通うなどバイタリティに溢れています。そんな母をずっと尊敬し、大きな影響を受けてきました。」

そんな環境で育った大音さんは、幼少期に自分のやりたいことを主張し、辞める際も自らの意志で決めていました。

「好きなことは何でもやらせてもらえました。姉の影響で始めたピアノや、友達がやっていたクラシックバレエ、スイミングスクール等に通っていました。そして、辞めるタイミングも自分で決めていました。小さい頃からはっきりと言う自己主張の強い女の子だったと思います。

2. 文武両道を目指す名門高校、海外旅行にはまる大学時代

高校は大阪でも屈指の公立名門校に進学され、非常にユニークな校風の学校だったようです。

「体育では50mプールでの水泳の授業、長距離はもちろん、縄跳びなども取り入れられたユニークな授業構成でした。」

そして、大学は国際協力に興味を持たれ、私大の国際関係学部に進学。
「発展途上国や貧国の実像を深く知り、日本人の自分との違いを痛感しました。そして、もっと多角的に学びたいと思い、経済学を中心に履修し、いろんな国に行き、自分の視野を広げることに積極的に取り組んできました。」

それから大学院を経て、就職活動をはじめます。そこで以前から健康や医療に興味があるMRを選びました。
また、それとは真逆の判断軸で、より広い業界を経験でき、ビジネスパーソンとしてジェネラルな力がつくコンサル業界にも興味を示し、最終的にアクセンチュアに新卒で入社しました。

3. 困難な道を選び、挫折を通して自らを知るキャリア

アクセンチュアといった外資系コンサルティングファームは、高いパフーマンスを強く求められ、非常にタフネスが必要とされる業界である点を大音さんも認識しながら、自らの直感を信じて敢えて大変な道を選んだようです。

「いろいろと論理的に考えもするのですが、最終的には自らの嗅覚というか直感で決めます。それは学校選びも就活/転職もすべて同様でした。その際によく選ぶのは、安易な道よりも困難な道でした。」

そして、約3年のコンサルタント生活を経て、クライアントを支援するスタイルではなく、自事業で意思決定をしたいと望み、事業会社への転職を考えました。その結果、アパレル業界に興味もあったので、ユナイテッドアローズ社に転職。そこでの4年間はビジネスパーソンとしての得手不得手を深く知る機会となりました。

「ユナイテッドアローズ社の情報システム部署に入社しましたが、これまでのアクセンチュアでの仕事のスタイルとは大きく異なっていました。企画業務も多い職種でしたが情報システム部なので、自社のシステムやサーバーの安定稼働のために、非常に多くのルーティンを正確にミスなく進めることもとても重要な役割です。しかし、ルーティンを守るのが非常に苦手である自分に気づきました。この気づきは、その後のキャリアでも再三痛感しました。例えば、その後のキャリアで管理職になった際、メンバーの勤怠承認などの事務処理は非常に苦手でした。(笑)」

様々な仕事に果敢に挑戦する大音さんだからこそ、自らを深く知る機会を得られたのでしょう。そして、4年ほど在籍したユナイテッドアローズ社からリクルート社に転職されました。

「リクルートは知り合いも多く、非常に肌の会う会社だという印象を事前に持っていたし、入社してもその通りでした。マネージャー業が大半でしたが、関連したビジネスも会社も大きく拡大し、非常に楽しかったです。」

そして、リクルート社の4年間を経て、学生時代から関心の深かったヘルスケア領域の新規事業開発に挑戦したいという想いが募り、DeNA社に転職。しかし、そこでも様々な気づきがありました。

「いろいろとビジネスの世界が見えるようになる30代後半のキャリアを非常に大事にしたかった。そこでDeNA社に転職して、新たなチャンレンジをしたが、力不足で想像していたように進められなかった部分もありました。ヘルスケア市場の開拓の難しさを痛感しました。その結果、自分は0→1というより、0.5→6にするフェーズが得意だと気付きました。」

その後、政府自治体に対するオンライン申請システムの企画・販売するグラファー社に進みました。当時は10数名の規模であったが約2年在籍して、70名程度の社員数まで成長しました。

「グラファー社にシニアクラスのBizDev人材として参画し、0.5→6辺りになったフェーズまでいました。同社ではスタートアップならではの速度感、ビジネスがどんどん変化/拡大していくワクワク感、自分たちの手で事業を作っている手触り感などを感じながら非常に学びの多い2年間を過ごしました。シンプルに仕事にのめりこみましたね。
そして、一区切りつき、新たな道を探すべく独立しました。」

4. より自分らしい生き方を目指して独立の道へ

大音さんはライフワークであるサーフィンをよりしやすい環境を求め、約5年前から首都圏と外房海外沿いエリアの二拠点生活を続けています。そして、フリーのコンサルタントとして独立しながらも、コーヒー好きにも拍車がかかり、持ち前の研究心が燃え上がり、研究と実践を重ねて、自家焙煎のコーヒー豆を販売する“うみきち珈琲”の展開もスタートしました。

そのようななかで、独立を機に、フリーランスのコンサルタントになられた際、デジタル人材バンクをご利用いただきました。

「デジタル人材バンクは、フリーランスのコンサルタントとして、最適な案件を探していただけて非常に助かりました。他サービスと比較してよかった点は、人材マッチング業務として、しっかり機能している点です。自分が業務設計をよく経験してきたので目につくのですが(笑)、他社の営業担当は規定のルーティンやマニュアル通りに動いていて、ビジネスライクというか無機質な印象を受けました。
一方、デジタル人材バンクは、血が通っている印象を受けたというか、人となり含めて交流できる関係性があるほうが互いにとってよい仕事となるのでは、と思い案件紹介をお願いしました。」

最後に大音さんの将来像を伺いました。

「私は、10年後どうなっていたい、みたいな将来像は特にありません。ただ、どうやって生きていきたいか、という強い思いはあります。自分の人生を自分で選択し続けること、好きなこと・夢中になることに1分でも多くの時間を使える環境であり続けること、今この瞬間を大事にすること、です。それが私なりの自分らしさであり、全力の今が未来を作ると思っています。」

自らの内なる声を大事にしながら、はじめたらとことん突き詰める大音さんのこれからのチャンレンジを私たちも楽しみにしております。

インタビュー所感)

いまの自分の気持ちや意志に丁寧に耳を傾け、毎日懸命に生きている大音さんの姿勢は、幼少時代から変わらないと感じました。
当社では、登録パートナーの皆様と持続可能な関係性を構築できるために、個々人のより深い動機や使命、Willを伺った上で、最適な案件をご紹介することにしています。
そして、各自の使命やWillの実現手段として、フリーランスのみならず、転職や起業なども含めた様々な選択肢をご紹介し、人材の流動化をより加速できるようにしていきます。その結果、日本の生産性や競争力はより一層強化していくことを確信しています。

(取材:金居宗久)